【吉田城(三河国)】池田輝政といえば姫路城だけじゃなく吉田城もね
どうも!せんです!!
今回は池田輝政が天正18年(1590年)から慶長6年(1601年)まで城主だった吉田城をレポします!!!
吉田城はもともと牧野古白によって永正2年(1505年)に築城されたそうです。
戦国時代末期ごろには徳川家康の重臣、酒井忠次が城代をしていましたが天正18年(1590年)家康が関東に移封されると池田輝政が東三河4郡を統べる15万2千石の城主となりました。
輝政は吉田城および城下町の大改築を行い、現在見られる吉田城を造りました。
吉田城は北側に川を背にして本丸があり、それを囲むように二の丸、三の丸、侍屋敷が囲むという半円郭式の平城です。
↓豊川越しに撮った鉄櫓。まさに背水の陣であることがよくわかります。
上の写真に写っている建物は昭和29年(1954年)に再建された、鉄(くろがね)櫓で、天守の代わりをしていたと考えられているそうです。
中は資料館になっているのですが私が訪れた2015年は確か日曜日しか開館していなくて入れませんでしたOrz
1年後にリニューアルしたらしく現在は月曜日と火曜日以外は開館しているようです。
しかもなんか入った方のブログ見たら池田輝政の顔だしパネルとかあるっぽいじゃないですか。
・・・・・・・・・・は?
・・・・・・・・・・は?
なんやねんそれ私だって池田輝政の顔だしパネルで顔出したかったわ
くっそあと一年早くリニューアルしてくれてたら顔出せたのに
・・・・まあそれは置いといてこの鉄櫓を支える石垣は池田輝政時代のものといわれています!!
池田輝政と同じ空気に触れとったんやな・・・
池田輝政はたぶん二の丸御殿に住んでいたのかなと思って二の丸あたりにいってみます。
しかし案内板が無くどこが二の丸御殿跡なのかわからないのでマップを見てこの辺かなという所を撮ってきました。
ここで池田輝政が暮らしとったんやな・・・
しかし帰ったあと、ネットで調べてみたら二の丸御殿跡って普通に案内版があったみたいです。
・・・・・・・じゃあ上の写真はなんなのよ
二の丸御殿跡でもない所を眺めて感慨にふけってしまったわけですが次行きます。
吉田城のすぐ近くに国道1号線の通る、吉田大橋という大きな橋があります。
そこにこんな石碑を発見。
どうやら池田輝政は吉田城の拡張の際に橋の架け替えも行ったようです。
この石碑に書いてある鉄橋ってのはどれかわからなくて撮っていません。
そしてこの本によりますと
吉田城から6㎞ほど離れた所に輝政が信仰し、その後、参勤交代時に池田家が必ず参ったという岩屋観音があるそうなので行ってみました。
岩屋観音という名前だけあってめっちゃ岩山の上にあります。
けっこう登るの大変・・・
頂上からの眺め。
案内板には池田輝政の事は書いてありませんが曾孫の池田綱政の事が書いてあります。
案内板に書いてある綱政が寄進した観音経、黄金灯篭、絵馬は岩屋観音からまた少し離れた大岩寺にあるそうです。
見てないけど案内板だけ撮ってきました。
輝政の字を見て少しテンション上がる。
ていうことで吉田城もレポは終わりです。
さすが11年もいただけあって池田輝政関連の場所が結構いっぱいあり、池田充できました!