【鳥取池田家歴史散策】鳥取 夏の池田家ツアー
現在、鳥取市歴史博物館で特別展「鳥取のお殿さま 天下人と歩んだ池田家」が開催されています(8月31日まで)
それにあわせて7月20日に池田家ゆかりの地をめぐる歴史散策があったので参加してきました
ちょっと想像はしてましたが他の参加者の方はご年配の方ばかりで若いのは私だけでした
しかも郷土史とか研究してそうな詳しい方ばかり
歩きやすい服装で来てくださいと書いてあったのでワンピースでもいいかなと思ってワンピースで行ったら他の方、リュックに帽子でハイキング的服装
私、場違い感半端なかったです
・・・まあ、いいけど
今回の歴史散策は歴史博物館から山の手の池田家ゆかりの寺をめぐりながら仁風閣まで行きました
まず最初は芳心寺
学芸員さん(鳥取歴史博物館の。今回三名の方に案内していただきました)の説明では鳥取藩初代藩主池田光仲の正室 芳心院の菩提寺だと言っていた気がするのですが今ネットで調べると菩提寺だとは書いてないんですよね・・
まあでも芳心院さんのお墓はありますし名前も芳心寺です
鳥取池田家関連のお寺ですから当然、蝶と葵の紋があるんですが
この寺の蝶は一味違うのです!!
立体的&目に色ついてる
上の方の葵も立体的です
豪華だなーすげー
芳心院さんのお墓は境内から少し登ったところにあります
(この登ってる方達が他の参加者の方達です)
芳心院さんは紀州藩祖徳川頼宣の第一女で徳川家康の孫にあたる人です
夫の池田光仲は家康のひ孫です
家康の孫とひ孫が結婚してるんですねなんかすごい
芳心院さんは長生きで徳川綱吉の時代まで生きました
綱吉の時代に家康の孫はこの方しか生き残っておらず家康の孫に会いたいと綱吉が芳心院さんを江戸に呼んだりしたとか
あとこの方は熱心な日蓮宗の信者でした
それもそのはずで芳心院さんのお母さんは日蓮宗の信者で有名な加藤清正の娘、瑶林院です
しかもおばあちゃんの養珠院も近世初期を代表する日蓮宗の大外護者として著名な方だとか
芳心寺には芳心院が養珠院より授けられたという日蓮聖人御真骨が伝存しています
この方達に限らずお姫さまってのはわりと日蓮宗信者が多いらしいですよ
以上学芸員さんからの聞きかじりっっ!!
うろ覚えなのであまり信用しないでください!!(一応調べ直しましたが)
最後に芳心寺の掲示板の言葉がかっこよすぎたので
俺は昨日までの俺ではない お前も頑張れ
次は興禅寺へ
ここに関してはこちらの記事で書いてますのでよろしければ・・・
米子荒尾家、津田家、乾家のお墓があるのですが荒尾家と乾家の墓だけ見ました
この写真はどっちだったかわすれちゃったんですけど・・・(ヲイ
ちなみに米子荒尾家は米子城の城代をやっていた家ですね
鳥取は墓域が広いらしくこの辺の山には無数に墓が広がっているそうです
寺の方もどこまでが自分の所の墓でどこからが他の寺の墓かわかんないそうです
学芸員さんも全部把握しきれていなくて現在調査中らしいですよー
実はこの寺にある池田輝政の位牌とかもしかしたら見せてもらえたらしいんですが残念ながら法事中でみられませんでした・・・
興禅寺を後にしたあとは吉川経家の像を眺めたりしつつ・・・
(やはり鳥取の人は大河で鳥取城攻めがスルーされたのはちょっと残念だったっぽいです)
仁風閣へ
ここもこれに書いてるのでよろしくです
蝶くせになりそう - せん日記帖
宣伝多くてすみません・・・
最後は仁風閣から車で鳥取市歴史博物館まで送ってもらいました!!
「鳥取のお殿さま 天下人と歩んだ池田家」もちゃんと見てきましたよー
やはりメインはポスターにもなってる岡山池田家と鳥取池田家が先祖である池田恒興と元助を供養するため作らせた位牌と厨子ですかね
厨子の裏表に岡山池田家と鳥取池田家の家紋がそれぞれついてるんですよ!!
あと信長から池田恒興への書状で三方ヶ原の戦いで戦死した木田小太郎って人の財産をお前の次男の古新ちゃんにあげるよ!!っていうやつとか
古新ってのは池田輝政の幼名でこのとき十歳です
こんな小さい頃から優遇されとったんかい!!
お馴染みの池田輝政の肖像画もあったんですが(Wikipediaに載ってるやつ)それより督姫の肖像画の方が多かったです
三枚もありました
尼さん姿のは見たことあったんですがお姫様姿の督姫の肖像画は初めて見ました!!(三枚の内一枚がお姫様姿)
督姫の肖像画はやはり葵の紋がたくさん描いてあって徳川家康の娘である事が強調してありますね
そして前から見たくてしょうがなかった月岡芳年の池田輝政が加藤清正に毒まんじゅうを食わせようとする錦絵が見れて大満足でした!!
まだやってるので興味のある方はぜひ行ってくださいね!!
行きたくなった人はぽちっとなー(行きたくならなかった人も!)↓