せん日記帖

狭く浅い知識を持つせんが戦国武将ゆかりの地へ行ったり絵を描いたり妄想したりするブログです。

岡山 真夏の池田家ツアー

どうも!せんです!!
日岡山に「正子公也戦国武将画展」を見に行きまして、ついでに吉備津神社と清泰院というところに行きましたので紹介します

まあ例に漏れず池田家関連です


吉備津神社

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吉備津神社岡山県岡山市北区にある神社です
備中国一宮です
近くに吉備津彦神社ってのもあってこっちは備前国一宮らしいです超ややこしい


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重要文化財の北随身門やよ

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さらに登っていって・・・

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本殿です
屋根形式は入母屋造の屋根を前後に二つ並べた比翼入母屋造で吉備津造ともいいます
全国唯一の造りで国宝に指定されています


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あとこの本殿から南の本宮社をつなぐ総延長398mの回廊が凄いです!!

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いつだったかさっぱり覚えとらんのですが「軍師官兵衛」の紀行で紹介されました
それまで吉備津神社の名前だけは知っていましたが紀行でこの回廊を見てこれは行かねばならんと思ったわけです

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Wikipedia

江戸時代になると姫路藩主で岡山城主の池田利隆が本社を造営した。利隆は光政の誕生を期に子安神社を造築した。その後、岡山藩主池田忠雄により本社・拝殿が造営された。池田綱政が社領300石を寄進したほか本殿を造営し、本殿・渡殿・釣殿・祭文殿・拝殿と連なった社殿が完成した(元禄10年(1697年)に完成)。

って書いてある通り吉備津神社は池田家にも関係あるよ!

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あ、これは池田家とは全然関係ないどこかの池田さんの千社札ですけど
池田ってだけで写真撮ってしまう末期症状
もしかしたら池田家の人が貼ったかもしれんけど(まあないでしょうが)


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あと駐車場にやたらとポーズがかっこいい犬養毅像を発見


清泰院

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清泰院は岡山県岡山市南区にある池田輝政の次男忠継と三男忠雄のために忠雄の息子である池田光仲が建立した寺です
池田忠継の廟と池田忠雄の墓があります


池田家関連ですから当然蝶があるんですが

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お寺の外にある祠からして蝶でした
最初からクライマックスだぜ
供えられてるダンシングフラワーみたいな花がかわいい


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本堂も蝶がいっぱい


あと凄いと思ったのがお寺って瓦に寺の名前の一文字が書いてあったりするですけど

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(参考 宮津国清寺)

清泰院は


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全部の瓦に二文字書いてあるんですよ
あまりの「清泰」の多さにさすがの私も蝶より「清泰」に目が行ってしまう!!


・・・というかこんな事ばっか書いてる場合じゃない!!
肝心の忠継廟と忠雄の墓ですよ

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墓所は門で閉ざされていますがお寺の方にお願いすると開けてくださいますよ!


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まずは忠雄のお墓
すごく大きかったです
通称「芋墓

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忠雄の墓の左側には忠雄の死に際し殉死した加藤主膳正のお墓があります
忠雄の墓に負けないくらい大きいです

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右側には忠雄の妻の芳春院の墓があります
蜂須賀至鎮の娘で名前は三保といいます

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お墓の前にはいかにも古そうな錆びた灯篭が置いてありました
かなり劣化してるのですがかすかに蝶の家紋が彫ってあったことがわかります

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傘の部分にも蝶が


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池田忠継廟です

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徳川家康の外孫なので堂々と葵の紋がつています
中に忠継の座像と位牌が安置され廟の真下に円形の木棺に胡座した忠継の遺骨が埋葬されています

池田忠継は幼少の頃から容姿端麗で資質が優れ家康に寵愛され「東照神君最愛の公子」といわれたそうです
しかしわずか17歳でお亡くなりになります

この若すぎる死には忠継の母、督姫が輝政の長男利隆を殺そうと饅頭に毒を入れたのを忠継が察知し利隆から饅頭を奪い取って食べ兄を庇ったという伝説があります(詳しくは調べてね)

それで清泰院がこの地に移転になった時、忠継の遺体を調査してみた結果・・・


毒死の確証は得られませんでした


伝説の域は出ませんでしたね
まあ突っ込みどころ満載なんですけどねこの伝説


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