【鳥取東照宮】鳥取東照宮に行かざるを得ない!!
どうも!せんです!!
先日、鳥取東照宮に行ってきました!!!
鳥取東照宮は鳥取県鳥取市にある神社で江戸時代の創建当時は因幡東照宮と称されました
明治7年(1874)からは樗谿神社(おうちだにじんじゃ)と称され、平成23年(2011)に本来の名称が因幡東照宮だったことから鳥取東照宮に改称したそうです
鳥取藩初代藩主池田光仲によって造営されました
光仲はわずか3歳で藩主になり、慶安元年(1649)、藩主となって16年目に初のお国入りを果たした際に幕府に願い出て鳥取城下への東照宮勧進を許可されました
光仲の父、忠雄の生母は徳川家康の次女督姫ですから光仲は家康のひ孫になります
東照宮が完成した時、家老などにより石灯籠が献上されたようで今回のお目当てはこれです!!
参道は石畳になっていていい雰囲気です
鳥取東照宮も含むこの辺いったいは樗谿公園として整備されていて市民の憩いの場となっています(・・・たぶん。ウォーキングの人とか多かったです)
動物ふれあいコーナーみたいなのもあってウサギとかいるのかなと思ったら・・・
ポニー
ブタの仲間(名前忘れました)
ダチョウ
思ったよりすごいのいた
そんなこんなで随神門に着きました
ここを抜けると・・・
お目当ての鳥取池田家の家臣達が献上した石灯篭です!!
石灯篭全てに献上した人の名前が彫ってあるんですね
いちいち全部撮ってられなかったんで・・・
とりあえず池田って彫ってあるのは全部撮ってきました
たぶん池田大蔵大輔辰政
たぶん池田図書頭政広
たぶん池田日向守之政
たぶん池田掃部頭長重
いきなり話変わりますが鳥取藩主池田光仲幼年時代の家老は
池田家の古い外戚、荒尾氏
池田家の客分だった和田氏
池田忠雄(光仲の父)の淡路時代からの譜代の執政、乾氏
武功によって後に招かれた津田氏
池田忠雄の生母督姫の外戚、鵜殿氏
で光仲の幼年時代のおける池田氏一門の人脈は非常に薄いものだったそうです
そこで池田氏一門を固めるため池田恒興の長男、之助の孫、池田之政(池田日向家)や池田輝政の10男(本当は3男)池田利政の第二子、知利(池田大蔵家)そのいとこである池田政広(池田図書家)を備前池田家から鳥取へ招きました
しかし荒尾氏をはじめとする重臣層の壁は厚く、日向家、大蔵家は池田家における最高の格式「着座十家」の構成員にはなったのですが(図書家は途中で格式が落ちてしまったようです。幕末になってから着座家に復帰)その位置は十家の内「上六家」の構成者である両荒尾(二家あったらしい)・和田・津田・鵜殿・乾の諸家に及ばず、「下四家」の構成者である両荒尾のそれぞれの分家と同格の位置に置かれたそうです
この家臣によって献上された灯篭、おそらく本殿に近い方が格式が高いのだと思うのですが上の写真の池田さん達の灯篭は確か後ろから3、4番目でした
随神門側から見て本殿に一番近いのが両荒尾さん
左側一番前の灯篭です 荒尾主計頭宣就
右側の一番前は荒尾大和守成直
それに続いて津田さん(左)和田さん(右)
その次が乾さん(左)鵜殿さん(右)
まあ灯篭の話はそれくらいにして拝殿にいきましょう!!
いろんな所に葵の紋がついていますよ!
・・・まあ徳川家康が祀られてるので当たり前なんですが
最初に書き忘れていましたが主神として東照大権現を祀り、配神として池田忠継・忠雄・光仲・慶徳を合祀しています
そしてこれが本殿
本殿の左右にある灯篭が
光仲の息子、綱清が献上した灯篭です
見にくいけど松平新五郎と彫ってあります
ということで今回はここまで~
途中の説明がわかりにくくてすみません(全体的にわかりにくいけど)
人に伝わるように説明するのは難しいですね・・・
参考にした本
新修鳥取市史 第二巻
因幡東照宮樗谿神社―徳川家康と鳥取池田家
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