広島夏の福島正則ツアー ~二葉の里 歴史の散歩道編~
どうも!せんです!!
8月10,11,12日に福島正則ゆかりの地を求めて広島に行ってきました!!!
1日目は「二葉の里 歴史の散歩道」です
■二葉の里 歴史の散歩道とは
広島市東区牛田新町の不動院⇒二葉の里⇒矢賀駅までの間に点在する由緒ある神社、仏閣や史跡などの文化遺産を結んだ散歩道であり昭和58年(1983)に広島市が指定したものです
広島市東区役所区政振興課発行の散策マップによりますと
①不動院②日通寺③水道資料館④碇神社⑤八剣神社⑥安楽寺⑦饒津神社⑧明星院⑨鶴羽根神社⑩広島東照宮⑪金光稲荷神社⑫二葉山平和塔⑬尾長天満宮⑭國前寺⑮聖光寺⑯才蔵寺
で、半日くらいで回れると思われます
広島駅周辺でレンタサイクルを借りるといいかも!
私は一番最初の不動院あたりに車を置いて歩いて回る計画だったのですが広島についたのが午後2時になってしまい時間が無くて車移動に・・・
時間無くて焦ってたうえ暑くてしんどかったのであまりじっくり散策できませんでした・・・
それでもよければどうぞお付き合いください!
なお寺社の解説は上記の散策マップを引用しました
①不動院
現在、当寺が安国寺不動院と呼ばれる由縁は、光厳上皇の院宣により足利尊氏が諸国に修造した安国寺の一つで、安国寺恵瓊が伽藍を再建。福島正則が本坊に不動明王を祀り、臨済宗から真言宗に改めた。
ここは以前行きましたのでスルーですromance705.hatenablog.com
でも福島正則の墓はスルーできないのでお参りしてきました
また来ました!
この日はとても暑かったですが正則の墓は日陰にあるので涼しそうでよかったです
②日通寺
浅野2代藩主光晟の夫人(前田利家の孫・自昌院)の晩年の願いにより、元禄8年(1695)に建てられた藩主ゆかりの法華宗の寺。
近代的なお寺だったので原爆で焼失したのかと思ったんですがそうではなかったようです
昭和42年に火災で焼失し、平成3年に再建されたそうな
下の方見てみたらいきなりこんなん出てきてちょっとびっくり
昔のやつがちょっと残ってたのかな?
境内にある「梅鉢紋入手水鉢」が自昌院の生家前田家との深いつながりを示しています
③水道資料館
申し訳ありません。スルーしました。
文字通り水道の資料館。伊藤博文揮毫の石額と児玉源太郎の筆による石額があるようです
④碇神社
天正17年(1589)広島城の築城前からこの地に祀られた海神で、城下町で一番古い神社。当時この辺りは海辺で往来の船が碇を降ろしたことから呼ばれるようになったという。
市街地の一角にあるんですが昔は海だったなんてなんか実感わかないですよね
⑤八剣神社
本命きましたー!!!
これを見に来たと言っても過言ではないです
解説は案内板を読んでください
正則かっけええええ!!!!
福島正則ってなんか川に縁があるよなあと思いました
名古屋の堀川を開削してるしromance705.hatenablog.com
洪水で被害を受けた広島城の石垣を修復して武家諸法度違反に問われてるしromance705.hatenablog.com
晩年、長野で川の氾濫を防ぐために大夫の千両堤っていうの作ってるし。
八剣神社はこういう堤防の上にある道路の途中にあります
けっこう手入れされてて大切されているなあと思いました
嬉しい限りです
⑥安楽寺
浄土真宗のお寺で天文2年(1533)天台宗から改められた。宝暦の大火(1758)で類焼したが天明8年(1788)再建された。原爆の爆風で傾いた本堂が今も健在。
この門をご覧ください!!
イチョウの木が門を貫いているんです!!
親鸞ゆかりのイチョウといわれ樹齢約350年
原爆では爆風の壁となり寺を守ったといわれています
平成2年の山門建造でこの木を残すため屋根をくりぬいて作ってあるのです!
この日テレビ局かなんかの人がずっとこの木を撮影しててあまり長居できませんでした
本堂が原爆の爆風で傾いているそうですがあまりじっくり見られなかったです・・・
浅野9代藩主斉粛(なりたか)が始祖長政を祀るため、天保6年(1835)に造営した。昭和20年(1945)8月6日、原爆で社殿等は全て焼失したが昭和59年に再建。
祭神は後に長政の室未津姫と幸長、長晟、長勲が合祀され現在は5柱だそうです
浅野オールスターズみたいな
浅野長勲さんは芸州浅野家最後の藩主で「最後の藩主」「最後の大名」と呼ばれることがある人だそうです
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ちょっと興味があるのでいつかこの本読んでみたいです
社紋はもちろん浅野家の家紋ですよ
浅野長政愛用の手水鉢とかあったみたいなんですが見逃してしまいましたorz
⑧明星(みょうじょう)院
毛利輝元の生母妙寿院の菩提寺であったが長州へ移封後、福島正則が明星院と改めた。歴代城主の保護も厚く、領内鎮護の祈祷寺とされた。堂宇は原爆で全て焼失。その後再建。
正則が明星院に改めたって書いてあるけどあんまり正則関連のものはないかなと思って行ってみたら
めっちゃ福島正則って書いてあるやん!!
来てよかった・・・
横に保育園みたいなのが併設されているかなり立派なお寺です
いい味を出してる風神雷神
ようお参り
このお寺には赤穂四十七士の木像があると聞いていたのですがどこにあるかはわからずスルーしたんですけどこの本堂の中にあったようです
この掲示板にどこにあるか書いてあったんでしょうが時間無い&暑くてへばってたのでちゃんと見てなかったです
またお参り
⑨鶴羽根(つるはね)神社
鎌倉時代創建の椎木八幡宮が前身と伝えられる。広島東部の総氏神と崇敬厚く、明治5年鶴羽根神社と改名。社殿等は原爆で全て倒壊。その後再建。
石橋がかかってるのが見えると思いますが下はかつて前を流れていた古川の水が橋下の池に引き込まれていた名残だそうです
今は水はありません
たしか砂利がひいてあった気がします(うろ覚え)
④の碇神社あたりから暑さでばてててあんまりちゃんと見れてないんです
すみません
⑩広島東照宮
徳川家康の霊を祀る神社である。浅野2代藩主光晟が慶安元年(1648)に造営した。50年毎に大祭が行われた。原爆により本殿・拝殿は焼失したが、唐門・翼廊は残った。
徳川幕府3代将軍家光は初代家康の霊を祀るため全国有力諸大名の領地に東照宮建立を勧めました
鳥取の奴↓romance705.hatenablog.com
当時の浅野2代藩主光晟の生母振姫は家康の3女でまた光晟の室満姫は家康の養女であったことから夫婦そろって東照宮造営を念願したそうです
この超急な階段を登っていくと
唐門に極彩色のおっちゃん登場
おっちゃんの吹く息からまたちっちゃいおっちゃんが出てきたりしてるけど仙人かな
中国の故事をモチーフにしてるのでしょうか
夫婦で東照宮造営を念願しただけあって大きくて立派です
・・・さて残念なお知らせです
この広島東照宮に行った時、すでに4時をまわっておりましてあと6か所行くところが残っておりますが
⑪金光稲荷神社⑫二葉山平和塔⑬尾長天満宮⑭國前寺⑮聖光寺 スルーします
名残惜しいですが急いで一番最後の⑯才蔵寺に向かいます!!
⑯才蔵寺
閉門してたorz
間に合わなかったーーー!!!!!
ここは絶対行っときたかったんですが(泣)
簡単に説明しときますと福島正則の家臣、可児才蔵を祀る寺です
晩年は仏門に入りこの地で亡くなったそうです
才蔵は戦時に備えて保存食の味噌を蓄えていましたが、これを食生活のために取り入れ、栄養の多い味噌をつくり城下の人々に配って生活を助け、味噌つくりの方法を教えるなどしたとの言い伝えがあります
才蔵の没後、彼を慕う人々が味噌と脳みそを連想し寺に安置されている地蔵尊の頭に味噌を供えて祈願すれば、合格が叶えられるとあって合格を祈願する受験者や保護者が今も絶えないそうです
境内には可児才蔵の石像もあります
これは行っとかんなあかんやろ・・・orz
仕方ないのでこの日は歴史の散歩道の終点、矢賀駅近くのイオンで食事して日帰り温泉に行き、明日の目的地宮島のある廿日市市のネカフェに泊まりました
■消化不良となったこの日の教訓
❶時間に余裕を持って行動する
❷暑さ対策は万全に
❸欲張って全部を全部見ようとしない
この教訓を次に活かすことができるのでしょうか・・・!?
次回「広島夏の福島正則ツアー ~安芸の宮島編~」お楽しみに!!
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