せん日記帖

狭く浅い知識を持つせんが戦国武将ゆかりの地へ行ったり絵を描いたり妄想したりするブログです。

【高野山】和歌山ウルルン滞在記 せんが高野山で六時の鐘と池田輝政の供養塔に出会った

どうも!せんです!!
正月休みに和歌山県高野山に行ってきました
主な目的は福島正則が建てた六時の鐘と奥の院参道にある池田輝政の供養塔です

それでは世界遺産高野山に行ってみましょう!!


まずは車で訪れた際の玄関口、大門

高野山の西の入り口に立つ総門です
現在の建物は宝永2年(1705)に再建されたものだそうです

そんな風には見えないくらい綺麗な赤色ですよね
装飾もすごく見事でした

大門の横の方にトイレが設置されてるんですがここに入ったのがまずかった・・・!!

まさかあんなことになるなんて・・・!!

まあこれはまず置いといて・・・


次は檀上伽藍

高野山開創の際に最初に根本道場が建立された聖地です
写真は昭和12年に再建された根本大塔
高さは約50mです

この他に重要な儀式が行われる金堂などがあるんですが正月料金(12月30日に行きました)で根本大塔も金堂も無料で入れました!!
冬場はオフシーズンだと聞いてたんですが来てよかった!!

しかしここをいろいろ見ている途中、大門のトイレにスマホを忘れた事に気づきました
けっこう時間たってたんですが取りに戻ったらまだあってよかったです(;´∀`)
かなり焦りました!!
ダッシュしてたら外国人観光客が私の方を見ながらダッシュ(笑)」とか言ってたけど知らん!!



次は金剛峰寺ですがスマホ取りに戻ったせいで時間を大幅にロスしほぼ早歩きですorz

言わずと知れた全国の高野山真言宗の寺院3600ヵ寺、信徒1千万人の総本山です
総本山なのに早歩きです(泣)
檀上伽藍がすごくでかくて派手派手だったんで総本山はどんなにすごいのかと思ったら・・・

落ち着いた感じでした

しかしよく見たら装飾とかすごくて金かかってるのがわかります
中も狩野元信とか狩野探幽とかの屏風絵などがいっぱいあってすごかったです
豊臣秀次が自刃した部屋もありました

屋根の上に樽みたいなのが何個も置いてあるんですが何なんだろう・・・


そしてお次は今回のお目当て六時の鐘であります!!

福島正則が父母の追福菩提を祈って元和4年(1618年)に建立しました
寛永7年(1640年)に正則の子である正利によって再鋳されました
その鐘銘がかなまじり文であることで有名らしいのですがこの鐘、あまり近づく事ができず確認できません

というかまずなまじり文って何・・・?(あとから調べます)

現在でも午前6時より午後10時まで、偶数時に時刻を知らせているんですが・・・


見に行った時にちょうど鳴ったんですよ!!鐘が!!


感動じゃぁぁぁ!!!!
どうにか鐘を突いているところを激写しようと鐘の周りをじろじろ見たんですが・・・


どう見たって鐘を突いている人がいないんですよ


どうも時刻になったら鐘突き棒が自動で動いて突くようになっている模様です


・・・・・


六時の鐘めっちゃハイテクになってますよ!!正則さん!!


というか鐘が鳴ったからって喜んでばかりいられないのです
これ4時を知らせる鐘ですからね
日暮れ間近です


ていうことで最後、奥之院!!

弘法大師の御廟を中心とした聖地です
約2㎞に渡る参道沿いにおびただしい数の墓石や供養塔が並び、その数は約20万基といわれています

まず弘法大師の御廟にお参りに行きましたがここは撮影禁止です
なんだかやはり雰囲気が違いました
弘法大師が今も見守っていらっしゃいますからね・・・

そしてその後に参道を歩きました
池田輝政の供養塔は織田信長の供養塔の向かって左、筒井順慶の供養塔の前にあるという事なので織田信長の供養塔を目指していけばいいのです
メインの参道を歩いていけば案内板が出るやろと思っていたのですがそれが甘かった



行けども、行けども見つからず遂に2㎞の参道を歩ききってしまったのです
日も暮れかかっていたので焦ってスマホで調べたら最初の方だったらしくダッシュで2㎞の道のりを戻りました

信長の供養塔があるらしいところまで戻ったんですが入口が小さいらしく全然見つからない!!
しかも猛烈にトイレに行きたくなる!!
同じ所を半泣きでうろうろしてた結果・・・

完全に日が暮れました

もうね6時間もかけてね和歌山まで来てね
見つかりませんでしたで帰れないんですよね
これは車中泊して早朝に見つけ出して帰ろうかなと思っていたところ・・・

メイン参道から少し外れたところに観光客が二人ほどいるのを発見
これはもしや・・・と思い、行ってみたら・・・



織田信長の供養塔あったぁぁぁぁぁ!!!!!


その横には筒井順慶の供養塔



そしてその前にあるのが池田輝政の供養塔です!!


半ば崩れかかり、案内板も出ていませんが(去年くらいに見つかったらしいので)

慶長十八年正月廿五日
国清院殿正三品参儀泰叟玄高大居士
為羽柴三左エ門御内方建立

と、輝政の命日と戒名、督姫によって建立されたことが書いてあります
(命日の部分が見えてなくてすみません・・・まだ明るいように見えますがこれはISO感度を最大まで上げて撮っているからで実際は暗くて全く見えずだいたいのところにカメラを向けて適当に撮っています)

案内板もないのにけっこう小銭が供えてあったんですがやっぱり皆さん池田輝政の供養塔だとわかって供えているんですよねえ
私も財布の中にある小銭を全て供えようと思ったんですが


20円しか入っていませんでした


ごめんなさい輝政さんもっとお供えしたかったんですが20円しかありませんでした・・・



「別にいいよ」って頷いてるように見えてきた私は疲れていたのだと思います
安らかにお眠りください・・・



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