鹿野、河原をゆく
5月17日に鳥取の鹿野城と河原城に行ってきました
作家司馬遼太郎は鹿野のまちなみを次のように表しました
人通りは、ない。通りは水の底のようにしずかで、ときどき京格子の町屋や、白壁に腰板といった苗字帯刀身分の屋敷などが残っている。ぜんたいに、えもいえぬ気品をもった集落なのである。
凄く賑わってたりお店がいっぱいあるわけではないけどなんか良いんですよね……
なかなか気に入りました( ´∀`)
牛や馬を繋ぐ牛つなぎ石や馬つなぎ石が今でも残っています
一緒に行った人のわんちゃんをつないでみました
幸盛寺というお寺に大河ドラマ軍師官兵衛で最近亡くなった(つってももう何週も前なんですけど…)山中鹿介のお墓がありました
鹿野城主亀井茲矩と山中鹿介は義理の兄であり義理の父であり又、尼子家再興に献身する先輩・後輩の仲であったそうです
それで亀井茲矩が鹿介の菩提を弔うため現在地に移転させ鹿野山・幸盛寺(山中鹿介のフルネーム山中鹿介幸盛からとっています)と改めました
灯籠が鹿介と月っぽくなっています
そしてここ鹿野はこの記事http://romance705.hatenablog.com/entry/2014/05/19/%E6%8F%9A%E7%BE%BD%E8%9D%B6%E3%81%AE%E8%BB%A2%E8%90%BDで紹介した通り池田輝政の4男、池田輝澄が改易されて蟄居した場所
池田輝澄は鹿野の光輪寺らへんを住居としていたようでそこに輝澄遺愛の庭が残っているとの事だったんですが案内板とかがなくどれだか全然わからなかったのですよ!!!
寺の裏にそれっぽいのがあったので
これだということにして帰りました
鹿野城の天守跡にも登ったんですが石垣の跡がどれかいまいちわからないまま頂上に着いてしまいましたorz
草で隠れてるとこが天守の石垣の跡なのかなあ…
いまいち消化不良のまま河原城に向かいました
河原城は犬山城天守を模した展望台(模擬天守)です
展望台の内部は、旧河原町の観光案内所と資料館になっていて、羽柴秀吉が因幡平定後に発した感状などが展示されています
ちなみに河原城という名称ははふるさと創生事業で展望台ができた後の名称でこの城の正式名称は 丸山城
鳥取市内には丸山城という名の城跡がこの城を含めて 3つ あり、旧邑美郡に限ってもこの城を含めて 2つ あるそうです
丸山城ありすぎだろ!!!
そんな河原城に来た目的は 甲冑展 戦国武将と池田家由来の品々
写真撮影禁止って書いてなかったんでバシバシ撮ってきたんですがもしブログに載せちゃダメなら削除するので教えてください関係者さま
金蒔絵 鞍と鎧
足乗せる所にまで揚羽蝶ついてて感動しました
馬標
池田家第十一代慶栄公所用革烏帽子
行軍や戦闘の合間に使われる烏帽子です
見たらわかると思いますけど蝶の形になってるんですよ!!!!
めっちゃ感動しましたああああ!!!!
伝 正阿弥 作 揚羽蝶紋透鐔
ぬああああ超かっこいいいい
黒漆塗池田家家紋金蒔絵 短刀拵
この他にも火矢筒とか鎧とかありました
もちろん全部揚羽蝶付き
池田家好きにはたまらん展示会だったわけですよ
あ、これ以外にも池田家とは関係ない甲冑、変り兜、武器、鹿野城主亀井家ゆらいの品などがありました!!
これだけ見れて 無料とか太っ腹すぎますわ
本当にありがとうございました
鹿野も河原も良いところなので機会があれば是非行ってみてください!