せん日記帖

狭く浅い知識を持つせんが戦国武将ゆかりの地へ行ったり絵を描いたり妄想したりするブログです。

ぶらり途中登城の旅

慶長17年(1612)正月に池田輝政脳卒中で倒れ、中風(脳卒中による半身不随の症状)を患いました

徳川家康と秀忠は心配して使者を送ったり手紙を書いたりしました

天下人の書状をよむ: 岡山藩池田家文書

天下人の書状をよむ: 岡山藩池田家文書

この本だけでも5通のお見舞の手紙が載ってるので心配の程が見て取れますね

そのかいあってか8月には回復し輝政は駿府の家康と江戸の秀忠にお礼参りに行くことにしました



8月13日
駿府で家康に拝謁
宴などを賜り帰りに茶席をもうけるからもう一回寄れと言われます


8月23日
江戸で秀忠に拝謁
刀だとか釜だとか馬二頭だとかなんか色々もらいました

あと快気祝いに松平姓を許され参議にも推薦してくれました
快気祝いとかそんな軽い感じで参議ってなれるのね……


8月27日
江戸出立


9月3日
駿府に到着


9月4日
再び家康に拝謁
家康は山名禅師と藤堂高虎を接伴役にして輝政を茶会で歓待しました

あとやっぱり刀だとか掛軸だとか鷹だとか馬だとかなんか色々貰います

摂津に放鷹地も貰ったよ
家康太っ腹!!


9月17日
京都に到着


9月18日
皇居に参内し正式に参議に任ぜられます


こうして姫路に帰った輝政ですが病気治ってすぐ長旅って体に悪くない?って思いますよね?


………ええ


当然ながら 病気再発

そしてそのまま正月に亡くなってしまいました


輝政が死んだのは刑部姫のたたり!!とか言われたりしてますけど


病み上がりの身で江戸まで長旅したからだよねえ
無茶しやがって……



でも輝政は自分の命がもう長くないとわかっていて最後に家康や秀忠に会いにいったのかもね
そうだったら最後に楽しい旅ができて良かったのかもしれませんね


揚羽蝶の飛翔 備前池田家の履歴

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