せん日記帖

狭く浅い知識を持つせんが戦国武将ゆかりの地へ行ったり絵を描いたり妄想したりするブログです。

私を宮島に連れてって

今日は「蔦文蒔絵唐櫃」について話をしようと思います(関ヶ原じゃねえのかよ)



厳島神社には平清盛を始め平家の同族郎党らが一人一巻の経典を分担して書写し一門の繁栄を祈って清盛が奉納した装飾美麗な経 平家納経があります


関ヶ原の戦い後(おぉ!!ちょっと関ヶ原に触れられたぞ!!)安芸国の領主になった福島正則はこの平家納経が破損している事を知り1602(慶長7年)年、平家納経を修復、そしてそれを入れる唐櫃を作らせ奉納しました

それが国宝 蔦文蒔絵唐櫃

長方形の被蓋造で黒漆塗、全面に研出蒔絵の手法で蔦の文様が施されています
大きさは高さ44・1㎝蓋縦46・6㎝横57・1㎝の大きな物です(実際に見たことないから知らんけど)

平家納経の修理には風神雷神図で有名な俵屋宗達が関与していたと言われ唐櫃の図案の作成も宗達が関与していたとする見解があるそうです


平安末期の美術工芸の粋をつくした平家納経の破損に心を痛め修復し華麗な箱を作って奉納って猛将のイメージの強い福島正則にしては意外な感じしますよね



しかし期待を裏切らない福島正則!!
いいい話だけでは終わらんのですよ!!

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(いばる事ではない)

耶蘇会年俸(1602)に宮島で木を伐ったため神々が罰を下し広島城内に破砕を起こさせた。何人かの人は火の玉が宮島から城に飛ぶのを見たとの噂が広まったと書かれているそうです

また宮島の弥山の中腹に 大夫戻しと言う石があるそうなんですがその名の由来は正則が甲冑をつけ乗馬のまま山に登ろうとしたらこの石の前で前に進めなくなったからだそうです


宮島って二回行ったけどこんなにがっつり福島正則に関係してたとか全然知らんかった……!!悔しい………!!!!
今度行ったら弥山登る
こんなおもろい石あるのに登らんでどうするっっ!!!



参考にした本(毎回だいたい同じ)

名将言行録 (4) (岩波文庫)

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福島正則―最後の戦国武将 (中公新書)

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戦国百人 (別冊太陽)

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