せん日記帖

狭く浅い知識を持つせんが戦国武将ゆかりの地へ行ったり絵を描いたり妄想したりするブログです。

せんは長久手古戦場に行った

7月12日に長久手古戦場にいってきました!!


小牧・長久手の戦い羽柴秀吉軍と徳川家康織田信雄連合軍が尾張を主な舞台として対決した合戦です
経緯ははググっていただきたいんですが(ヲイ)秀吉と家康はそれぞれ小牧山城と楽田城というところで本陣を構え膠着状態に陥ります
その膠着状態を打ち破るため秀吉は池田恒興らに家康の本拠、岡崎城を攻めさせようとしますが家康はこれを撃破
秀吉軍は大敗します
しかしその後、秀吉は織田信雄と単独で和睦し戦は終了します

この三河遠征軍が家康に破られるあたりの史跡を巡ってきました
膠着状態に陥る前(羽黒の戦いとか)と池田恒興らが敗れた後の史跡は巡っていません

・・・なんというかうまく説明できなくてすみません(-_-;)
とりあえず三河遠征軍発進のあたりから戦の流れを大まかに紹介しながら写真貼っていきます
説明わかりにくいと思いますがすみません

膠着状態を打破するため秀吉は家康の本拠、岡崎城を密かに攻めることにしました
岡崎に向けて出撃したのは

第一隊(先鋒) 池田恒興父子
第二隊(次鋒) 森長可
第三隊(目付) 堀秀政
第四隊(本隊) 三好秀次

だったんですが家康にすぐばれました

家康は榊原康政らの先発隊に追尾を命じ自らも少数の守備隊を残し信雄とともに小牧山城から出撃しました
家康本隊の先陣は井伊直政の赤備えでした

  • 岩崎城の戦い

岡崎城に向かう途中に家康方の岩崎城というお城がありました
これを守るのは榊原康政ら先発隊の道案内をする丹羽氏次の弟 氏重や長久手城主 加藤忠景ら役230名でした

池田恒興は岩崎城を素通りするつもりだったのですが岩崎城から銃撃を受けたため岩崎城を攻撃
岩崎城は多勢に無勢で二時間程で落城し城兵と共に丹羽氏重(16歳)と加藤忠景(41歳)は戦死しました


関連史跡

岩崎城

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史記念館と展望塔岩崎城が建設され城址公園として整備されています
展示は全部無料だし岩崎城の戦いの本が買えて満足しました(#^.^#)


長久手

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岩崎城の戦いで戦死した加藤忠景の居城だったところです
広場みたいなところに観音堂と石碑がありました



  • 白山林の戦い

池田隊が岩崎城を攻撃している頃、最後尾の三好秀次隊白山林というところで休息していました
そこへ榊原康政ら家康先発隊が背後から急に襲い掛かり不意をつかれた秀次隊は壊滅しました


関連史跡

木下勘解由塚

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白山林の戦いで敗北した秀次は徒歩で逃走してたのですが途中で木下勘解由左衛門利匡と出会って彼から馬を与えてもらい逃げました
利匡は追ってきた敵と戦いこの地で戦死しました
また兄弟の木下助左衛門祐久も敵を一時食い止めこの付近で戦死したそうです


  • 桧ヶ根の戦い

秀次隊より前にいた堀秀政隊は秀次敗戦の知らせを聞きすぐに引き返し桧ヶ根に着陣
攻め寄せる榊原康政勢を待ち伏せ一斉に鉄砲を撃ちかけ撃退しました
この戦いが局地戦で秀吉側の唯一の勝利です
しかし勝利したものの新たに参戦した井伊直政隊との戦いで多くの兵を失ったうえ、進軍してきた家康の馬印を発見したためこれ以上の戦闘は無理と判断し堀隊は退却しました


関連史跡

堀久太郎陣地

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堀秀政が陣を敷いたところです
図書館横の公園内にあります
噴水のある綺麗な公園で子供たちが水浴びして遊んでました
超暑かったので私も遊びたかった(;´∀`)

家康は第一、第二隊の池田・森隊と第三隊の堀が合流しない間にこれを分断しなければならないと決意しひとまず陣を置いていた色ヶ根(色金山)から長久手富士ヶ根(御旗山)に本陣を進め、富士ヶ根から仏ヶ根、前山に陣を構え

右翼 家康自身3300
左翼 井伊直政3000
更に織田信雄勢3000

の計9300の兵を配置しました

一方三好秀次敗戦の知らせを聞き救援に向かおうと引き返してきた池田勢は既に布陣を終えた家康軍に対し

右翼 池田兄弟(嫡男元助 次男輝政)4000
左翼 森長可3000
後方 池田恒興2000

の計9000の兵を配置しました

仏ヶ根池と烏ヶ狭間を隔てて対峙した両軍は睨み合いを続けましたが二時間後戦闘を開始しました


関連史跡

床机石(色金山歴史公園内)

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小牧山城を出撃した家康はとりあえず眺望のよい色金山に陣を敷き軍議をしました
この石はその時家康が腰掛けたといわれる石です
色金山歴史公園の中にあったんですがここはお茶室や櫓風の展望台もあるのでおすすめです


八幡社(色金山歴史公園内)

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軍議を開いた後、出陣に際し家康はこの八幡社に戦勝を祈願したそうです
今は何も残ってませんが・・・


教圓寺

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家康が色金山から御旗山に移る時、この寺に戦勝を祈願したそうです


御旗山

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山がかなり削られているらしく長久手古戦場公園の郷土資料室のおじさんにあまりおすすめしないといわれました
まあ行きましたけど
富士社という神社があります


古戦場公園

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にあるモニュメント
すごくかっこいい・・・!!!
古戦場公園には弓道場がありちょうど練習してらしたんで見てました
気が散ったと思います すみません
弓道やりたい・・・
古戦場公園には後述する勝入塚、庄九郎塚や資料館、合戦の地形を模した広場などがあります
無料のレンタサイクルもあります
長久手古戦場巡りをするならまずここに来てマップ貰ってから行くのがいいかと
私はそれをしないで適当に巡ったのでかなり時間がかかり苦労しました(-_-;)


戦闘は二時間程続き、しばらく一進一退を繰り返しました
そんな中、森長可井伊直政勢の銃弾を眉間に受け即死します(享年27)
そこから戦況は次第に徳川方の優勢になっていきます


関連史跡

武蔵塚

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森長可の戦死場所
恒興、元助の戦死場所からは少し離れた住宅地にあり行く途中で偶然素敵な輸入雑貨のお店を見つけました
この辺は地名も「武蔵塚」です


徳川勢の猛攻に森長可が倒れ混乱の中で池田恒興も手傷を負っていました
兵の多くは逃げ、馬を失い退くことすらできずにいましたそこへ長田伝八郎・蜂屋七兵衛・安藤直次の三人が先を争って襲い掛かり遂に長田伝八郎に首を獲られてしまいました(享年49)


関連史跡

勝入塚

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池田恒興戦死の場に建つ碑です
古戦場公園の中にあります


  • 池田元助討死

恒興の討死を知って駆け戻ってきた恒興の嫡男 元助は長田伝八郎に大将首を奪われ馬を進めていた安藤直次と出会いたちまちの内に倒され首を獲られてしまいました(享年26)


関連史跡

庄九郎塚

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池田元助が戦死した場所に建つ碑です
勝入塚から約200メートル南にあります
ペットボトルのお茶が二本供えてありました

  • 仏ヶ根の戦いの終わり

恒興の次男 輝政は家臣に付き添われ戦場を離脱しました
「池田家履歴略記」によると輝政は父と兄と共にここで討死しようとしたそうですが家臣が無理やり輝政の馬を引っ張り戦場を離脱させたそうです

こうして仏ヶ根の戦いは家康方の勝利となりました


関連史跡

伴若狭守盛兼の墓碑(色金山歴史公園内)

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家康方の戦死者の墓碑です


血の池公園

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家康方の武将が血槍や刀剣を洗った池があった場所です
毎年合戦の行われた頃になると池が血の色に染まったと伝えられています
避難所になってるんですがネーミングなんとかならなかったの・・・(;´∀`)
鎧掛けの松というのがあるらしいのですが見つけられませんでしたorz

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血の池公園の横には自転車教習所が・・・!!
信号もちゃんとついてる!
こんなの初めて見ました
すごーい!!


首塚

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合戦の舞台となった長久手の村々は戦死者の山となりこれに心を痛めた雲山というお坊さんが村人達と共に屍を集めて埋葬し塚を築いて供養しました


安昌寺

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その雲山和尚がいた寺です


常照寺

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最後に常照寺の恒興・元助・長可の墓です
びっくりするほど小さく、また端の方にあるので最初どこかわかりませんでした・・



・・・ということで今回行った史跡はこれで全部です
この後秀吉は織田信雄と単独で和睦をし、小牧・長久手の戦いは終了します

知らない人にはわかりにくく、知ってる人には中途半端な記事で申し訳ありません・・・
ていうか最後まで書いてこの形式すごく見にくいことに気づきました
でも合戦の流れ書かんとそれはそれでわかりにくいし・・・(ぶつぶつ



こんなにわかりにくいのにここまで読んで下さった方、ありがとうございました!!
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