続・初が愛した小浜
どうも!せんです!!
いい加減小浜旅行記を完結させたいと思います
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お初が愛した小浜 - せん日記帖
では前回の続きからどうぞ!
小浜城の築城に着手した京極高次ですが徳川体制が固まりつつあった慶長十四年(1609)病によって小浜城で没します
享年47歳
お初は剃髪しその後常高院と称しました
その後大坂冬の陣、夏の陣において姉の淀殿・秀頼母子を救わんと家康の命で和議の交渉にあたりますがその努力もむなしく姉の淀殿や甥の秀頼を失ってしまいます
晩年、江戸に滞在していた常高院は夫高次の菩提を弔い、また父母等の供養のため、息子忠高が領する小浜の地に常高寺建立を発願します
しかし病を発し普請半ばにし江戸で没しました
享年66歳
遺骸は木曽路を越えて小浜城に運ばれ常高寺において葬儀がとりおこなわれました
常高院は亡くなるひと月ほど前、「かきおきのこと」という遺言状を書いていました
常高院はそこに「もし将来国替えがあっても常高寺だけはこの若狭の地に留めおいて下さい」と書いています
その遺言通り1634年に京極家は出雲松江藩に国替えになりましたが常高寺は若狭小浜に残されました
ということで常高寺行ってみましょう!!
駐車場に浅井三姉妹の絵があるなと思ったら・・・
開閉式の顔出し看板だった
これいいアイディアですよね
そして門くぐって中に入るんですが・・・
おわかりになりますでしょうか・・・
屋根の所が京極家の家紋になってるんですよ!!
すげー
お寺の中には常高院ゆかりの品などが展示してありました
お庭を見る事もできます
寺の中に入らなくてもこのお庭だけ見ることもできますよ
外から入れるようになっています
まわりには常高寺で得度した尼僧のお墓がとりまいています
常高院の墓に相対して七人の侍女の墓があります
常高院は「かきおきのこと」でこの侍女達の今後についても指示しています
この配置は常高院を中心に殿中の女性たちが節会に集まった姿を呈しています
個人的なイメージで初はとても優しくて他人への気遣いを忘れずいつもにこにこしている人だと思っていたのですが初の墓をたくさんの墓が守っているのを見てきっと私のイメージ通りの人でたくさんの人に慕われていたんだろうなと思いました
おしまい