せん日記帖

狭く浅い知識を持つせんが戦国武将ゆかりの地へ行ったり絵を描いたり妄想したりするブログです。

琴浦町ぶらり旅  

江戸時代、鳥取藩には家老に藩内の重要な拠点の町を委任統治させる鳥取藩特有の制度がありました

これを「自分手政治」といいます

自分手政治が行われたのは全部で五か所で、

米子、倉吉荒尾
松崎を和田氏
八橋を津田氏
浦富を鵜殿氏

がそれぞれ統治していました

五月の連休にこの内の八橋がある琴浦町でぶらっとしてきましたのでご紹介したいと思います

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琴浦町ぶらり旅はーじまーるよー♪



鳥取池田家の家臣についてはこちらで少し書きましたromance705.hatenablog.com
荒尾さんが統治した米子はこちらromance705.hatenablog.com



まずは池田家の大イヌマキを見にいきました

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池田家とどういう関係があるのかはよくわかりません
もしかしたら池田家って鳥取池田家のことじゃないのかもしれません

とりあえず池田って書いてあったので行きました

しかもこれ探すのに一番時間かかったっていう・・・



お次は花見潟墓地です

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花見潟墓地は一か所の海岸に集中した自然発生墓地です
ここまでの規模の物は非常に珍しく、海岸に面した墓地としては西日本で最大級だそうです!

お墓参りしてる人とかがいてここに住む人たちとったら普通の風景なんでしょうけど圧巻です



次に菊港にやってまいりました

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明暦三年(1657)江戸大火のおり、鳥取藩の藩邸が焼失したため、鳥取藩は赤崎村の大庄屋役の河本長兵衛に材木の調達を命じました
そこで長兵衛は泉州の堺から大きな船を買入れ、この港を現在のような形に修築し、材木を江戸に運びました
長兵衛の妻は松江藩堀尾吉晴の孫で菊姫といい、長兵衛との間にできた弥四郎は堀尾姓を名乗り長兵衛の後を継いで海運業を営んだのでこの港を次第に「菊姫の港」(菊港)というようになったそうです

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なので菊港にかかる橋の名前を菊姫橋といい、橋名板は菊姫が所持していた螺鈿細工の長刀にちなんで螺鈿風の装飾がしてあります

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欄干には堀尾家の家紋が

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菊姫橋を渡ると波しぐれ三度笠というモニュメントがあります



そしてこの菊港のすぐ上の高台にあるのが神﨑神社です

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彫刻が凄いというのは聞いていましたが想像を絶していました!

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竜宮城
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乙姫
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浦島太郎


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右扉の彫刻 神功皇后
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左扉の彫刻 神功皇后の子(後の応神天皇)を抱く武内宿禰


極め付けがこれ!!
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拝殿向拝天井の龍の彫刻!!!
私の下手な写真でも凄いのが伝わると思います(伝わってるよね・・・?)


本殿の方の彫刻も凄いんだろうなあと思ったら・・・
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修理中だった・・・

なんてこったい(ノД`)・゜・。



気を取り直して体玄寺行ってみよう!!

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最初に書いた通り、江戸時代の鳥取池田家の治世下で津田さんが琴浦町の八橋ってところに陣屋を置いて自分手政治を行いました
体玄寺は津田家の菩提寺です

赤い瓦がかっこいいです

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くじら・・・?


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そして体玄寺の裏の方に津田家代々のお墓があります
3代元茂から12代元亮までの10基と元茂夫人の1基、計11基の墓碑が堂々と並んでいます

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3代元茂さんのお墓
元禄って書いてあります



津田さんが陣屋を置いた八橋城跡にも行ってみましょう
すごくいまさらですが八橋はやばせと読みます


城跡は八橋駅のすぐ横にありJR山陰本線により分断されています
そしてこれが八橋駅

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普通の家のようですが駅です

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本丸の方に登ってみましょう


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この辺、城っぽいなあと思って見てて後ろを見たら



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おおぅ!? な、なんじゃこれは!! 怖っっ!!!

1932年(昭和7年)に朝日新聞社機が日満議定書調印のニュースを積んで、満州からの帰途、不幸にも八橋沖に墜落したため八橋城跡の頂上に「酒井片桐飛行殉難碑」というのがあるんですがそれ関係のモニュメントなんでしょうか・・・?
なんだか知らんがとにかく怖い



八橋城跡を後にし、八橋海岸を歩いてみます


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小泉八雲と妻セツが結婚した年に日本海に沿って二人で伯耆旅行をしたおり、八橋を訪れたらしく記念碑がたっていました
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小泉八雲は八橋を静かできれいですと友人への手紙に書いたそうです
たしかにとても静かで落ち着きました
観光名所みたいなところもいいけどこういうところで一人でのんびりするのもいいものです



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おしまい
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